いつか父方の祖母が死んだら、私が二十数年間抱えてきたこの怒りのような形をした何ものかの半分ぐらいは消滅するんだろう。まあ、あとに残るのはただの伽藍堂ではあろうけれども。
怒りにも色々種類があって、対象や理由のハッキリしてる割りと単純な種類の怒りっていうのは、自覚しやすいし解決しやすいように私は感じる。厄介なのは、自分の中で自覚しにくい、捉えにくい怒りだ。いったいそれが何によって引き起こされている怒りなのか、本人もよく解らないから、解らないまま何年もの間澱のように自分の心の中に蓄積されていく。何年も蓄積することによってほとんど対象を失ってしまうから、誰にもぶつけようがない。ある意味心のなかで醸されてきた怒りは当初のものよりグロテスクで、誰にもぶつけられないから誰にでも向かう危険性があって、本人ですら制御が全く不可能になってしまう。人によっては、それをエネルギーに代えているという人なんかもいるだろう。だからそれが全くの悪だというわけではないんだろうけれど、残念ながら私にとってはこの手の怒りは荷が勝ちすぎる。今すぐ放り投げたい。が、長いこと私の中に蓄積している怒りは、もう私の人生の一部になってしまっているから、おいそれと、簡単には切り離すことができない。とにかく厄介だ。
とか、怒りについてツラツラ考えていたけれど、今日のごはんが美味しくて、一瞬でそんなことはどうでもよくなった。美味しいごはんていうのは、いいものですね。今日は、肉野菜炒めに、いんげんのおかかマヨネーズ和え、根三つ葉とかきたまごのお吸い物、むかご御飯でした。手前味噌になっちまうが、美味かったぜ。



もしギャルゲのように人生がいくつものルートに分かれていたとしたら、まず私の父が祖母ではなく祖母の妹の子として生まれるか / 若しくは交際していた女性との恋愛結婚を実らせ、母は父の前にお見合いした人と結婚し関東に留まり、そして私はこの世に生まれないっていうルートが、ハッピーかどうかは解らないけれど、GOOD ENDなんじゃないかと思う。あくまで、私と父、母三人だけの関係のみに絞ってルートを決めた場合、という注釈はもちろんつくのだけど。
私は自分の中に存在する怒りを、もっとよく見つめたい。
突然話が変わるけれど、岸田今日子は幼い頃から空想癖があり、ちょっと変わった女の子だったそうだ。「変わった少女だった、と自身回想している。幼稚園にも行かず、空想に浸っていて、小学校では勉強についてゆけなかったと。小学5年でも、割り算について「数が割れるなんて」と不思議でしょうがなかったと。」(wiki)読みながら、なんて可愛いエピソードなんだろうと、思わず胸に手をやってしまった。
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