タイトルは、中島らも氏のエッセイ集より拝借。おすすめです。

目が覚めるのは早かったものの、今日は体調悪く朝から何も出来ず。しかしこんな時の救世主、(またもや!)母から炊き込みご飯などの救援物資が到着!
正直、水に触るのも億劫なほど不調で、料理をする元気もなかったので、これは有り難や!とばかり、おみおつけだけちゃっちゃと作って、炊き込みご飯と一緒に頂きました。今日は、菜の花と厚揚げのおみおつけ。やっぱり朝はおみおつけが落ち着くね。炊き込みご飯、今回はご飯少し柔らかめだったけれど、これはこれでとても美味しい。
親の作ったものをこんなに褒め称えるとは手前味噌もいいところでいささか恥ずかしいけれど、これを食べてしまうとどっかで買った炊き込みご飯なんかは食べられません。(というかそもそも、ワタシ実は混ぜご飯の類はあまり好きではないんですよね;釜飯とか、おこわなんかも本来は苦手な方。母の炊き込みご飯と、近所の和菓子屋さんのおこわだけは別、という感じです。)

こちらは、先日作ったおみおつけ。具は春らしさが欲しかったのでやはり菜の花、と絹豆腐。なぜかこれ、おみおつけに全く関心のない同居人にやけに好評でした。一体、普段のおみおつけと何がちがったんだか、私にはさっぱりわからなかった。
具の相性が良かったんだろうか?謎だ。
で、タイトル通り今日は心が雨漏りする日だったので、明るい気持ちになるような本を眺めていました。私はやっぱり美味しいものが大好きだから、青菜に塩状態の時は、大抵美味しそうな料理の本とかエッセイを読んで気持ちを楽しい方に持って行きます。


「元気になったら、ここまで凝ったものとは言わないけど、何か手のこんだ料理でも作ってみようか?」なんて考えるのも、一つの楽しみです。体調に影響が出るので雨はあまり得意でないんですが、こんな日はしとしと雨も、落ち着いて読書ができる空間を演出してくれるので悪くないかな〜。
あと、今日は麻呂眉、所謂『引き眉』についてぼ〜っと考えたりもしました。
(しょーもねえなぁ、ほんと;)
前に、白洲正子さんが『両性具有の美』という著書の中で、源氏物語について触れてらしたことがあったと思うんですが、その中であの時代は「はっきりとすべてを書ききらないこと」が品の良いこととされていた、と確か書いてらして、そのために主語などを省略して書いてしまうから分かりづらいとおっしゃっていたんですね。(うろ覚えだ;)
で、その時はなるほどね〜そういやそうだな〜と思ってたんですが、引眉も同じような効果があるのかもなぁ、なんて。眉毛がなくなると、表情がなくなって顔の印象ってぼやけますよね。そのぼやけた顔が、当時は「はっきりしなくて」上品だったのかしら〜....なんて、ほんとしょーもないことをつらつら考えてました;単なる深読みの可能性大ですが(^ω^ ;)
さて、ぎんたま見るかー!