2011/12/05(月)

或る日の食卓: 62

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久しぶりの食事記録はお鍋で。本格的に冬の空気になってから、ますます鍋が美味しい。最近はキムチ鍋ばかり食べている気がする。本当は桃屋のキムチ鍋の素が好きなんだけど、近所のスーパーには無かったので今日は初めてキッコーマンから出てる鍋の素を使ってみた。こんなの→キッコーマン韓国キムチ鍋スープ。これも結構美味しかったけど、軍配は桃屋のほうに上がるかなぁ。両方混ぜて使うのが良いかもしれない。

家でご飯は好きだけど、ここしばらくずっと家飯続きなのでたまには外食したい。さしあたってまず行きたいのは、どぜう鍋・ジンギスカン・蕎麦あたりか。どれも一番手に持ってきたい位行きたいわい...

そういえば、先月の26日かな?新宿花園神社のお酉さまに行ってきたのだった。当日は可也の人出で凄く賑わっていた。一の酉を逃して、二の酉の日はちょうど浅草で中村座を見ていたけど雨がひどくて結局流れて、三度目の正直でやっと三の酉に行けたのだった。今年は三の酉まである年で良かった。

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古熊手も納めて、実家の分と自分の家の分の熊手を購入。今年は凄く気に入った意匠のものが買えて満足。ミニ熊手の招き猫がとっても可愛い。いつか大きな熊手を買って、三本締めしてもらいたいな〜。

さてさて、再開した食事の記録だけど果たしてちゃんと続くかなー(´`;)
メモ:薄いグレーのマニキュア+ピンク色のラメ
04:47 No.458 雑録 permalink
2011/12/04(日)

Rejoice and be glad.

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気づいたら一ヶ月以上もブログを更新していなくて愕然。いや、薄々は気づいてはいたけれど、まさかこんなに時間が空いているとは思わなかった。このひと月余りの間に出向いた観劇やらライブツアーやら日々の彼是やら、書きたいことはあるにはあったのだけれど、時間が経つ毎に文章を書くテンションがどうにも掴めなくて混乱し、書くに書けなかった。

このブログについては、人様にお見せするものというよりも自身の備忘録代わりのところがあるので、マニキュアを塗りなおして何色にしただの、あれが欲しいこれが欲しいとかそれこそ何を食ったとか、日々の取り留めのないことでも記していこうという気構えなのだけども、それを書こうとするたびに「...で?」ともう一人の私が白けてしまう。自分が以前までどんな心持ちで文章を綴っていたかということも思い出せない、もともとテンポ等ないも同然のどうしようもない雑文だけれど、それでもどういうテンションで、どういう運びで書いて行ったらいいのかもさっぱり分からない。基本的に人と接するのがあまり得意でない私は、しばしば人前で(相手がどれだけ慣れ親しんだ人であっても)どういうテンションでいれば良いのか全く分からなってしまい途方に暮れることがあるのだけれど、今回ブログという場でもそんな感じになってしまったわけだ。

で、更新しない間何をしていたかといえば、主に恋をしていた。デヘヘ。だがしかし、早合点は待たれよ。恋していたなんて抜かしたのは私だけれど。

恋と言っても、twitterやらblogやらで、本人にしか分からない仇名やイニシャル混じり(イメージが古いって?)で夜中に生々しい思いを吐き出してしまうような、そういう方向性の恋ではない。因みに私はそういう方向性の恋はあまり好まない。今私がしているのは、超一方通行な正に片恋というやつだ。

また、既にこの世にいない人に恋をしてしまった。お相手は、いわゆる噺家さんですキャピッ(〃◇〃)♡などと、少し恋らしさをアッピールしてみる。まあ、何方に恋をしているかというと、先代の10代金原亭馬生師匠だ。ほんとは「師匠」とか「丈」って呼び方はあんまり好きではないので、師匠とかつけたくないのだけど。私はあまり落語に明るくないし、落語家の方々もよく知らない。落語は好きで結構聴くけれど、俄落語ファンのようなものだ。けれど、落語家で好きなのは誰かと問われれば、間違いなく先代の馬生だと即答すると思う。以前この録でも、馬生師匠の「親子酒」を紹介したりもした。この人の噺が如何とか何とか、噺家としての技術が如何であるとか、そういう難しいことは分からない。兎に角、ただ好きなの。とシナを作ってみたり。気持ち悪い。

事の起こりは、『十代目 金原亭馬生 ー噺と酒と江戸の粋』という本を購入したことに始まる。もともと敬愛する噺家であった馬生師匠だが、冒頭数頁に渡り掲載されている生前のお写真の内、まだ20代の頃の馬生師匠を写した一枚を目にした途端、敬愛の気持ちは一転、片恋に姿を変えた。目が合った瞬間、なんかもうまさに「きゃあ!」という感じ。黄色い声が出ちゃう感じ。

それからは、本を開いて件の写真を眺めては、ときめいてみたり浮き足立ってみたり果ては妄想してみたりと、片恋の醍醐味を思う存分味わっている毎日であります。馬生師匠といえば、もちろんの着物姿。改めて、着物の持つ色っぽさというものを再確認するに至ったりもした。

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これがそのお写真。くつろいだ襟元から覗く素肌に思わずドキリとしてしまう。もしこのお姿の馬生師匠が眼の前にいらっしゃったら、目のやり場に困って、私は居た堪れなくなってしまうだろう。それにこんな視線を返されたら、精神的には老婆のような私でも、きっと頬を赤らめてしまうに違いない。ボタンをはずしたシャツの胸元がのぞいてもそんなに気にならないのに、どうして着物の襟元からのぞく素肌にはこんなに揺さぶられるのだろう。煙草を持つ御手の嗚呼なんという美しさ。

ああ、なんだかもう正視できないワ。

しかしけしからんことが一ツ。本に収録されている現物のお写真はもっとずっと魅力的なのだが、それを又撮影?した私のセンスが微妙なせいで本来のお写真の持つ魅力が半減してしまっている。あおり気味に撮ったからちょっと顔がふくよかに見えちゃってるし。ダメだな俺は。本物はもっとシャープな印象よ。

”どやどや” とばかりに迫ってくるような色っぽさを、私はあまり好きでない。私はこれを「ハリウッド式お色気」と呼んでいるのだけど、まるでボールマシンから繰り出される球のようなそういう色気というのは、勢いはあるけど叩き落としたりスルーするのも容易い。わかりやすいから。(私が女であることもこれにはちょっと関係してるかな?)そういった分かりやすい「オイロケ」とは反対に、足音もなくそっと忍び寄って静かに染みこんでくるような色気が私は好きなのだけど、これは侵食型(と勝手に思っている)なので、もう、避けようがない。捉えられたら最後。

そういう色気を、私は先代馬生からビンビンに感じてしまう。森閑として清潔感があって、一見艷めいたものからは距離があるように見えて、実は不可避な色気をお持ちの、稀有な御方だ。
ああ、嫁になりたい。

亡くなった方や現実には存在しない人にばかり、恋をしてしまう。
03:21 No.457 雑録 permalink